興味深い点をまとめると
○従軍慰安婦論争の性質の主の主題点は大きく2つ
に分けられ
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1、軍関与による慰安婦の強制連行があったかどうか
2、当時の常識として売買春は合法であり、また軍が付属の慰安所を設ける事も世界的に見であったのに何ゆえ日本の事例だけ旧悪を暴くがごとくに言挙げするのか
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1の論点については「「強制連行を否定し「慰安婦」を「公娼」視することは事実を極めて歪曲して喧伝する極右陣営の論陣に与する結果になっている」とする国家保障論者の厳しい非難にも拘らず、教育学者藤岡信勝氏ら「被害者」の証言は信憑性にかけるという立場を貫く事で論争をイーブンに持ち込んでいる。2の論点については宮崎氏は戦時における性の奴隷化は批判すべきだと考え慰安婦記述を保守派の論理は説得力を備えていないとする。

○死刑制度の存廃は
在置派の正当化根拠の主だった理由は

1、被害者、その遺族の感情の沈静化
2、凶悪犯罪における一般的威嚇力抑止力の推定
3、国民の規範感情の満足
一方廃止派の論拠としては

4、生命を奪う刑罰そのものの反人道性、犯人権性
5、威嚇力、抑止力の否定
6、裁判所における誤審の可能性
などが強調される

しかし、死刑の犯罪抑止機能に関しては効力を明確に、また反証するデータも互いに存在しないのでその点では膠着している
3、においては功利主義どころか極めて全体主義的発想が伏在しているが、いまやこれに拠って死刑を正当化するのは困難だという。6、の誤判の可能性については廃止論者は処罰されてしまった後に冤罪が判明するとするが誤審の問題は懲役刑でも刑期を終えた後に冤罪が明らかになっても失われた時間はもはや「取り返しのつかない」はずであり、よって、誤判の可能性を死刑廃止の根本理由とすることは全く妥当ではない。そうすると、存置論1、被害者の報復感情と廃止論4、反人道的刑罰が死刑の存続と撤廃を論じる第一論点になる。

科学史家小松美彦は「死んではいけない、だから殺してはいけない」という思想的原則から国家権力に基ずく死刑を斥けている。宮崎氏は「もはや国による死刑の不当性は明らかでこれからは「個人による死刑」の是非が問われる」とする。それは、厳格に法定された条件を超える犯罪をなした者は、法廷で死刑と絶対的終身刑の両方を申告され、いずれの刑を執行するかは選択可能とし、選択権は法に定められた範囲の被害者の遺族などに委ねられるとし、決定は権利を有するものが1人の場合は単独意思により、複数の場合は合議により、決定権者が存在しない場合は自動的に終身刑となる。
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近年アメリカに見られるタバコ訴訟などに見られる「私のせいじゃない症候群」というものが現代アメリカに瀰漫する社会病理を端的に示している。この種の責任逃れの弁明には腕利きの「人権屋」弁護士がつき荒唐無稽な主張を高い調子で謳えばマスコミの注目度も上がり被告人も弁護士も有名人扱いされる。それが陪審員の判断を狂わせている。
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サッカーについて。最終ラインの違いについては以下を参照。
http://www.football-ascii.net/cgi/data/ketto/1044122338.html
http://www.football-ascii.net/cgi/data/ketto/1044122905.html
ジーコのサッカーは意図が見えない、と言うのが多くのサッカージャーナリストの言葉だがそうだろうか。ジーコは何をしたいか、それは「個人の才能を最大限に引き出す」「そのためには組織として課する制約を極力排除する」という形で言い表される。システムに関しては単純で両方のボランチは同時に攻めあがらないつるべの動きをすることや最終ラインを無闇に上げずまた最終ラインとボランチの間のスペースを消すこと。など・・・。しかし、当たり前のことをやっているだけ、という感じは否めない。そこに斬新な戦術はない。
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韓国の選手を見ていて感じるのは彼らのスピード、もっといえば俊敏性が極めて高いということが上げられる。韓国選手にあって日本選手にないものは俊敏性だと思う。日本にも俊敏性を持っている選手は数人居るがその数は韓国の数より少ない。これからは俊敏性を持った選手を多く起用していくことを個人的には望む。例えばそれは大久保、石川、奥、坪井など。

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