警察関係のテレビ
2003年9月8日先日警察に密着したテレビ番組が放送された。私はもはやこの手の番組は見る気にならないがこういった放送は警察の宣伝番組だといっていい。警察は数々の不祥事を起こしてきた。警察に対する国民の風当たりは激しい。ほぼ数日置きに警察官の犯罪が報道される。警察官は確かにキツイ仕事ではある。そのキツサは警察学校から始まる。ここでは徹底的にしごかれる。今はそれほどでもないが昔の警察学校の凄まじさはとんでもないものであった。まるで刑務所のようだった、いやそれ以上だったとも言われる。自衛隊の場合もそうだがはじめの訓練は想像を絶するほど大変だ。話題はそれたが、この手の番組は警察の同行取材が許されている。当然その見返りとして警察に不利な情報は放送されない。これは互いの利益が一致したものだ。警察は「私たちはがんばっています」という宣伝放送を流して国民を操り情報操作している。もちろん警察とて馬鹿ではない。テレビの前ではいい人、もしくは張り切るのが人間の心理である。一方でテレビ局は確実に視聴率が取れる、ただそれだけだ。テレビは真実を伝えるものではない、情報は疑ってかかるべき、というのはもはや現代人に不可欠だ。例えば過去にこんな例があった。酔った酔っ払いが警察署に行く、そうすると警官はやさしく対応し何とか酔っ払いを帰宅させる。時には少しばかり署で休ませる。これを見た視聴者は「なんて警察はやさしいんだ」と思うかもしれないが実態なんてそんなに甘くない。私の例を挙げると(1年ほど前の話だが)私はある晩非常に体調が悪くなった、とにかくあまりの体調の悪さに救急車を呼ぼうとさえ思ったがさすがにためらった。大学病院に通っていたので事情を説明し精神科の医師に電話で相談した。時刻は朝1時ころだった。薬の追加を指示されたが限界だった。脳がぷつぷつと音を立てて何かが切れていく音がするし、立ってられない、ろれつが回らない、激しい頭、心臓の痛み、ベッドの上でもがき苦しみ不安感が増大している。午前3時ころになってまた病院に電話するとこれ以上薬を飲むとまずいから病院に朝一で来て下さいとの答え。立ってられないのでまともに歩けない。だからよろよろと自転車を両手につかみ自転車に乗らずに何とか駅までたどり着いた。しかし、電車は走っていない。始発は4時代後半だというのだ。それまで1時間以上ある。駅の改札は空いていない。行き場を失った私はすがる思いで交番に駆け込んだ。「大変調子が悪いので病院に朝一でいかねばなりません。駅があくまで椅子で休憩させていただけませんか」ろれつが回っていない。体はふらふら。それを聞いた警察官の言葉は「ここはあんたみたいな人がくる場所じゃないんだよ。さっさと帰りな。こっちだって忙しいんだ」その交番には深夜にもかかわらず6人もいて忙しいどころかふんぞり返って私語をしている警官ばかり。どこが忙しいのだか。しかも椅子は空いている。私は思わず落胆と警察の現状を見て愕然とした。その後寒い駅前でうずくまって改札が空くのを待っていたのは相当につらかった。改札があくと駅員に事情を話すと、「あなたが乗る電車は早めにドアを空けるからそこで横になっていて」との言葉。なんとも粋な扱いだった。名誉のために期して置くがその交番で昼は道を聞いたことがあり、そのときは丁寧に教えてくれた。警察も臨機応変な対応ができないものか。警察関係のテレビはテレビが回っているので警官は演じている。それを割り引いて見ないととんでもない誤解をすることになるし、警察の情報操作にまんまとひっかかる。マスコミは真実を必ず伝えるものではない、とはもはや当然のことだが視聴者は常に意識する必要がある。
コメント